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大阪地方裁判所 昭和43年(行ウ)803号 判決

原告 朴相植

被告 法務大臣

訴訟代理人 北谷健一 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、原告が大韓民国国民で一九四五年(昭和二〇年)八月一五日以前である昭和一六年頃から日本国に居住していたこと、原告が昭和四二年一二月一一日被告に対し永住許可の申請をしたところ、被告が昭和四三年五月一六日付同年八月一日到達の書面をもつて、原告が昭和三〇年八月韓国に向けて本邦を出国し、同年一一月一五日ごろ不法に本邦に入国したものであるから、日韓地位協定一条1(a)、出入国管理特別法一条一項にいう、申請の時まで引き続き日本国に居住しているという部分の要件を欠くことになるとして本件不許可処分をなしたことは当事者間に争いがない。

二、そこで本件不許可処分が適法であるかどうかを考察するが、まず原告の不法入国の事実の存否について判断する。

原告が昭和三〇年八月所轄海運局長から船員手帳に雇入れの公認を受け、日本船青山丸の乗員として福岡県小倉港を出港したが、韓国木浦港で青山丸を離船し、同年一一月一五日ごろ韓国麓水港から日本船万亀丸で小倉港に上陸したことは当事者間に争いがないところ、〈証拠省略〉の結果を綜合すれば、原告の出入国の詳細はつぎのとおりであることが認められる。

(1)  原告は昭和二九年ごろから日韓貿易に従事するようになつたが、原告の貿易方法は、同年四月七日関東海運局千葉支局館山出張所において船員手帳の交付を受けたうえ、これにより、自らも船員となり、自己の貿易貨物を積載した船舶に乗り組んで、本邦を出国し、韓国において貿易業務を遂行したのち、再び右船員手帳によつて本邦に入国するという方法であつた。

(2)  原告は趙禹洪、裴永圭(いずれも韓国人)と共同出資して荷主となり、日本船青山丸の傭船契約をし、昭和三〇年八月五日製釘機三台、化粧品、薬品、ビニール製品等を積載して、韓国木浦港へ向けて小倉港を出港したのであるが、そのさい原告は自らも同船雇入れの甲板員として同月四日所轄(門司)の海運局長から船員手帳に雇入れの公認を受け、青山丸の乗員として本邦を出国した。趙禹洪および裴永圭も原告と同様の方法で出国した。

(3)  当時化粧品は韓国政府の輸入禁止品目であつたため、青山丸は航行途中趙禹洪の兄が居住している韓国慶尚南道の南海島に立寄り製釘機をのぞく他の貨物を陸揚げし、同月七日目的地である木浦港に入港した。原告らは木浦港において製釘機三台の通関手続を済ませたのち、趙禹洪が南海島に陸揚げした貨物を引き取りに行つたところ、貨物はすでに韓国官憲により没収されてしまつていたことが判明した。そのため原告らは青山丸の日本人船員に約定の報酬を支払うことができなくなり、それが原因で原告らと日本人船員間に紛争がおこり、裴永圭は日本人船員に刃物で刺されて重傷を負い、原告自らの身体にも危険が迫まつたため、原告および趙禹洪はひそかに青山丸を離船し、原告は韓国麗水市の父親の許に、趙禹洪は南海島の兄の許に身を寄せたのである。

(4)  ところが青山丸船長は右没収事件から原告らに反感を抱き、木浦警察署に対し、原告および趙禹洪が共産主義者ですでに北朝鮮に逃亡しているかもしれないと虚構の事実を申告し、青山丸は原告および趙禹洪を残したまま木浦税関の許可を受けて出航し同年一〇月七日ごろ博多港に入港帰国した。

(5)  その後原告および趙禹洪は青山丸船長の申告により共産主義者の疑いで逮捕され木浦警察署で取調べを受けたが、青山丸船長の申告が虚偽であることが確認され、釈放された。そこで日本に帰国するため原告および趙禹洪は麗水税関に転船許可を申請し、同税関から日本船万亀丸に転船することを許可する旨の証明書を得て、万亀丸に便乗し、同年一一月一五日ごろ小倉港に入港し、官憲の臨検が済むとすぐに、上陸手続をしないで本邦に上陸入国した。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

ところで一方、〈証拠省略〉および弁論の全趣旨によれば、出入国管理行政について、本邦に在留する韓国人船員で船員法に基づき交付を受けた船員手帳を所持し、所轄海運局長から船員手帳に雇入れの公認を受け(雇入れの公認を受けてはじめて出入国管理令上の有効な乗員手帳となる)、その船舶の乗員として本邦を出国した者が、引き続きその船舶の乗員として帰国する場合(同一航海同一船舶の場合)には日本国民の乗員と同様に旅券なくして本邦に入国できること、しかし韓国において日本船を離船した場合には離船と同時に船員法上雇止めとなり乗員の資格を喪失するので本邦出港時に所持していた船員手帳によつては本邦に入国することができず、一般韓国人の場合と同じく韓国政府発行の韓国旅券を取得し、在外公館から入国査証またはクリアランス(仮入国許可)を取得して入国しなければならないこと、これを日本国民についていえば、日本国民たる船員が雇入れの公認を受けた船員手帳を所持し、日本の外航船舶で外国に行き、外国で離船した場合においても在外公館から旅券を取得して帰国することが原則であるが、在外公館から早急に旅券が取得できない場合には、在外公館あるいは現地官憲の発行した証明書によつて難船、急病等不時の理由で離船したことが確認されれば、船員手帳を所持しているだけで、日本国民の帰国として入国を認めること(この点が在日韓国人の場合と異なる)、なお「離船」とは、船が港を出港したときに乗つていなかつたことをいい、船が難船してなくなつてしまい救助されて他の船で帰国する場合あるいは自己の責任によらないで外国官憲に拿捕され別の船で送還される場合をのぞき「離船」として取り扱つていることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

以上の各認定事実によれば、原告が船員法に基づき交付を受けた船員手帳を所持し、所轄海運局長から船員手帳に雇入れの公認を受け、青山丸の乗員として本邦を出国したことは、正当な手続により船員手帳の交付を受けている以上、適法であつて、原告は船員ではないから出国も違法であるとの被告の主張は採用の限りでないが、原告が韓国において青山丸を離船すると同時に船員法上雇止めとなり乗員の資格を喪失するので、本邦出港時に所持していた船員手帳によつては適法に本邦に入国することができず、一般韓国人の場合と同じく韓国政府発行の韓国旅券を取得し、在外公館から入国査証またはクリアランス(仮入国許可)を取得して入国しなければならないにもかかわらず原告はかかる手続を履践していないから、原告の入国が違法であることは明らかである。

原告は麗水税関から万亀丸に転船することの許可を得て本邦に入国したものであるから原告の入国は適法であると主張しているけれども、右転船手続が日本国においても法的効力を有するという立証は何らされていないから、原告の右入国が不法入国であることに変りはない。

ところで前記〈証拠省略〉を総合すると、昭和二九年ごろ本邦に在留する韓国人船員のなかに、日本船舶の乗員として船員手帳により本邦を出国し、韓国において日本船を離船し、韓国税関から転船許可証明書を得て、他の日本船舶に便乗し、帰国する者があり(当時韓国旅券を取得することは困難であつた。)入国管理事務所も事実上それを黙認していたこと、その一例としてつぎのような陳道元のケースがあること、即ち、陳道元は在留韓国人であるが、昭和二九年夏ごろ原告とともに、日本船金長丸の船員として神戸港を出港し韓国麗水港に入港したが、その後金長丸を離船し、麗水税関で転船することの許可を得て日本船(船名不詳)に便乗し神戸港に入港したこと、そのさい神戸入国管理事務所はこれを不法入国と認定せず上陸を事実上黙認したこと、しかし、これは日本国民たる船員が船員手帳を所持し、日本船で外国に行き、外国で離船した場合にも、本来在外公館から旅券を取得して帰国することが原則であるが、在外公館から早急に旅券を取得できないときに在外公館あるいは現地官憲の発行した証明書によつて事故で離船したことが確認されれば、船員手帳を所持しているだけで日本国民の帰国として入国を認めているという取扱いと混同したことによると推察されること、そのため昭和三〇年以降は右の誤つた取扱いを正し、在日韓国人船員の転船許可による入国を不法入国と認定坂扱いをしていること、原告は転船帰国に関する坂扱いの変更をしらなかつたため、適法な入国と信じていたことの各事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

原告は転船帰国は当時慣例として行なわれていたからこれによつて、原告の不法入国に関する違法性は治癒されるものと主張するけれども、原告が転船帰国した昭和三〇年一一月一五日ごろはすでに入国管理事務所の取扱いは転船帰国を違法入国としていることは前認定のとおりであり、かりにそうでないにしても不法入国が事実上の黙認によつて適法な入国となるわけのものでもないから、この点に関する原告の主張も失当である。

三、以上のとおり原告は不法入国者であるから日韓地位協定一条1(a)、出入国管理特別法一条一項にいう、一九四五年八月一五日以前から申請の時まで引き続き日本国に居住しているという要件を欠くことになり、原告の永住許可申請に対し被告がなした本件不許可処分に取消されるべき違法の点は存しないから、その取消しを求める原告の本訴請求は理由がないものとしてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 日野達蔵 喜多村治雄 仙波厚)

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